携帯電話で写真を撮るという行為はこれまでの『写真を撮る』というものとは完全に違うものになっていると感じることが多い。
このお葬式の死に顔を携帯で写すというのもそうだ。この場面を残そうという気持ちでそうするのではなく、自身の感覚器官の一つのように使っているのでは?
見る、感じる、味わう、どれもうつろいやすく不確かな感覚。それとは違って、確かなメモリー(これも完全に錯覚だが)として携帯に残している、そんな気がする。それだけ私たちの体に携帯電話は食い込んでいる。五感に次ぐ第六(人によっては第七かもしれないが 笑)の感覚器官までになっている。
それだけの影響力がある携帯電話の充電が切れるというのは一大事。それなのにおいらの携帯ときたら一日で電池切れ寸前。早く機種変更しなきゃ!と思ってるのにau新端末がどれもいまいちっていうのがむかつくって話
コメント
そこでキャリア乗り換えですよ!!
ドコモダケにしちゃえ!
端末半額になったら考えてもいいが、高すぎ!!